醸造家は今日もビールの夢を見るか

異国で学び気づいた、日本のビールの「強み」
醸造家は今日もビールの夢を見るか 第4回

2018年2月 8日

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紀元前、メソポタミアで生まれたビールは、時代が進むにつれて世界へと広がった。とりわけドイツは、食品に関する最も古い法令といわれる「ビール純粋令」が16世紀に公布されている。そして現代、この国にはビールを愉しむだけでなく学べる環境がある。「醸造家は今日もビールの夢を見るか」第4回は、ミュンヘン工科大学に留学した磯江晃が、醸造家の学び、そして日本とドイツ双方のビール文化を教えてくれた。

1985年。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』第1作が全米公開され、日本では国際科学技術博覧会が開かれた年。サントリーに入社して5年目の若き醸造家・磯江晃の姿は、ドイツ・ミュンヘンの地にあった。

「サントリーの醸造家は代々、ミュンヘン工科大学に留学しており、大学の中で理論的な製法を学ぶのはもちろん、地元のビール工場で何カ所も実習して、本場のビールはどのようにつくられているかを学んでいます。私が留学した時代は、ミュンヘン工科大学のビール醸造学科2年間コースに学生として入学し、そして卒業しなさいというのが、会社から課されたミッションでした」

ドイツが若手醸造家の留学先となっているのは、単にビールの本場という理由だけではない。独特の教育制度が、これから知識と経験を身に着けようとする者にとって、適している側面もある。

極めて合理的で、なおかつ、ドラスティックであるといわれる、ドイツの教育制度。最近でこそ柔軟な進路選択ができるよう制度を見直す動きがあるが、基本的には初等教育を終える時点で、将来を決めることが求められる。大まかにいえば小学生が卒業する際、大人になったときに総合職に就くか、職人などの専門職に就くかを決断し、後は、それに向けた教育を受けるというプログラムが用意されているのだ。

だから、ミュンヘン工科大学ビール醸造学科では、非常に実務的、実践的なビールづくりを学べるのである。こうした環境を、磯江は日本の大学と比較して次のように説明する。

「私は日本の大学では農学部にいましたが、私のようにビールや食品のメーカーに就職する者がいれば、機械メーカーに就職するという人もいます。しかし、ミュンヘン工科大学ビール醸造学科を卒業する人で、まったく別の分野に進むという人はあまりいません。ほとんどはドイツ各地のビール工場のマネージャー、あるいは、その候補者として就職するのです」

現在の磯江は「シニア・スペシャリスト」の肩書きで、商品開発研究部に籍を置く。ドイツ留学から33年の時を経て、今は若手の成長を見守る立場になった。そんな磯江の目だからこそ見える、ビールづくりの学びと教え、日本とドイツの違いを、教えてくれた。

■ビールに関するあらゆることを学んだ

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磯江は、仕事に関しては厳しくも、会話の折々に冗談を挟む人物。「年を重ねて、手は動かさない代わりに口ばかり出すようになった」と笑うが、若手の醸造家と肩を並べて課題に取り組む。

ミュンヘン工科大学では、どのようにしてビールづくりを教えているのか? それを磯江に問うと、「最初に、ドイツのビール工場の雰囲気をお伝えした方がわかりやすいかもしれませんね」と切り出した。

「日本もドイツも、工場の中にマネージャー的な立場の人と作業を中心に行う人がいます。一見、組織そのものは同じように見えるのですが、両者の関係性となると、かなり違いがあるんです。日本の場合は、マネージャーと作業者の距離感はあまりなくて、共に作業し、共に意見を出すという傾向が強い。ではドイツの工場はどうかというと、マネージャーが自らの責任の下で判断をして、各作業者はその指示に従い作業に専念することがほとんどです」

ドイツのビール工場でのものづくりにおいて、マネージャーは強い権限を持ち、そして大きな責任を負っているということである。よって、マネージャー職に就く人には、ビールづくりに関するあらゆる知識と経験が求められる。

「だから、ミュンヘン工科大学で教えられるのはビールの製法だけではないんです。瓶詰めの技術、生産設備についてのエンジニアリング、さらには工場を経営するにあたってのマネジメントなど、カリキュラムの内容は非常に幅広くなっています」

ビールについてのありとあらゆることを学べるミュンヘン工科大学ビール醸造学科であるが、中でも特に磯江の印象に残ったのが「理論」だという。それを教えてくれたのは、磯江が「ナルチス先生」と呼ぶ、ルートヴィッヒ・ナルチス教授だった。

たとえば、マスターズドリームならばヨーロッパのビールづくりにおいて伝統的な「銅釜仕込み」に倣った製法を用いている。ただ、伝統的な製法だから美味しいというのでは、やはり説得力に欠ける。こうした、「なぜ伝統的な製法が美味しいのか?」あるいは、「どうすればより美味しくできるのか?」を理論的に研究してきたのがナルチス教授だ。

「ナルチス先生の研究室に行けば、こうした銅釜仕込みやトリプルデコクション(麦汁抽出の煮沸工程を3回繰り返し、麦芽のうまみを引き出す)がどうして美味しいのかといったデータがたくさんあり、論文も数多く書かれています。私だけでなく、私の先輩も後輩も、ナルチス先生とは非常に懇意にさせていただいており、今もとてもお世話になっていると感じますね」

一方、先述のようにドイツへ留学するサントリーの醸造家は、現地のビール工場でも学びを得る。工場の中、あるいは、その周囲の街並みを見たとき、磯江はドイツ人と日本人のビールに対する考え方の大きな違いに気づいたと話す。

「ご想像されるように、ドイツの人々にとってビールは単なる飲み物、お酒ではなく、愉しみであり文化であるんです。そればかりでなく、『地元でつくられたビールを愛する』との傾向も強い。事実、ドイツの酒屋さんに入ると、北部と南部では置いているビールがまったく異なり、それぞれの地元のものがメインのラインナップとなっています。そしてメーカーも、できたての美味しいものを飲んでもらいたいとの思想に基づいて、ビールづくりを行っているんです」

では、日本のビール、日本人のビールへの考え方が劣っているのかというと、そうではない。むしろ、日本人だからこそ、高品質で多種多様なビールをつくることができ、そして世界的にも評価されるようになったと、次のように続ける。

「我々を含め日本のビールメーカーはさまざまなブランドを展開していますよね。これは、日本のお客さまが新しい商品を受け入れてくれて、さらに愛していただいているという素地があるからこそ。また、東京の武蔵野ブルワリーでつくられたビールを北海道へ持っていっても九州・沖縄へ持っていっても、賞味期限内であれば変わらぬ美味しさを担保できるようにと、我々は常に考え、つくっています。『できたてをその場で飲む』のも美味しいですが、こうした品質を高レベルで維持するところは、日本のビールの長所といえるでしょう」

■お客さまによりビールを愉しんでもらうために

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ミュンヘン工科大学ではもちろん、先輩からも多くのことを学んだ磯江。「ザ・プレミアム・モルツ開発の際は、山本隆三という醸造家が中心となったのですが、厳しかったですね(笑)。特有のコクと香りを守るため『味・風味をブラすんじゃない』と何度もいわれました」

ドイツからの帰国後、今に至るまで、磯江は多くの時間を商品開発に費やしてきた。ミュンヘン工科大学での学びはもちろん、自身がつくったビールを飲んでくれる人々からの〝教え〟も、新商品を生み出すにあたって大きな糧になったという。

「我々が新たなビールをつくるとき、まず大切になるのはそれをつくり手自身が美味しいと思えるかどうか。ただ、いくら美味しいと思ってつくっても、お客さまから見向きもされないことだって当然、あります。そのときは、どこかが間違っていたのだと率直に受け止め、次へ向けてどうすればいいかを考えなければなりません。また、お客さまは新たな商品を愉しみにしている一方で、今までのビールも変わらず美味しく飲めることを求めています。この『変わらぬ美味さ』を保ち続けるため、味を〝ブラさない〟ことに思考を巡らせるのも大切ですね」

そして、磯江自身も変わらぬ美味さを求め、そして新たな美味さを生み出すために、何ができるのかを考え続けてきた。

今、磯江が学ぶ側から教える立場になって、醸造家としての考え方を後輩たちにどう教えているのか? そう聞くと「いやいや」と笑いながら、背中を見せる大切さを説いた。

「『教えよう』と思っても、なかなか聞いてもらえるものじゃありませんよ。私だって、若い頃はそうでしたから(笑)。私は61歳になりましたが(サントリーは2013年より65歳定年制を導入)、若い人たちに何かを教えるという意識を持つのではなく、彼らと同じように課題を見つけそれにチャレンジしていく。そうしなければ後輩たちもすべきことがわからないでしょうし、何よりも、お客さまにビールを愉しんでいただく、という最も大切なことができなくなってしまいますから」

33年前、ドイツの地で色濃いビール文化とつくり手たちの情熱を知った磯江。彼自身の情熱は、まだ冷めることはない。

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