その逸品ができるまで

大量生産の技術を使い、個性あるものづくりを追求する
――グッドデザイン賞受賞の陶磁器職人・木股智洋インタビュー

2018年5月22日

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特別な人へのプレゼントには、特別な逸品を――。醸造家の夢とこだわりがつまったマスターズドリームの「父の日セット」には、今回のギフトのために作られたオリジナル美濃焼小皿が内包される。デザイン・監修したのは、美濃焼の産地である岐阜県土岐市肥田町で陶磁器の窯元を営む、ヤマ忠木股製陶所の木股智洋さん。伝統ある町で独自のこだわりのもとに美濃焼の可能性を追求する木股さんが、この逸品にこめた思いとは。

■イラン・イラク戦争で会社が火の車に

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「僕はものを作るのは好きですけど、売り方を考えるのは苦手だって自覚があるんで、好きなことをやって生きていけるだけの規模でやろうとしたんです」

自身のものづくりに対する姿勢について、木股さんはこう語ってくれた。

安土桃山時代に生まれた美濃焼は、長らくの土岐市の主要な産業として町の経済を支えてきた。父である先代の木股智正さんも、町に数ある窯元のひとりとしてヤマ忠木股製陶所を1950年に創業。昭和40年代には大量生産を実現できる「トンネル窯」を導入し、皿や湯呑などの陶磁器を多いときには1日1万5000ピースも作るほど大忙しだった。そのほとんどは、イラン貿易用だった。

「土岐市の美濃焼は織部や有田のような芸術品というよりも、日常的に使う大量生産品がほとんどです。先代がイランに輸出していたのも、向こうの人はチャイ(紅茶)をよく飲むので、食器の消費量がものすごく多いから。当時はここら一帯の窯元が、世界的に見ても安く大量に食器を作れていたので、国外への輸出が盛んだったんですよ」

しかし、1980年より始まったイラン・イラク戦争の影響で記録的な円高となってしまい、食器1枚あたりの輸出額が暴落。国外輸出を中心に生産していくのは、ほぼ不可能になってしまった。

さらに、この苦しい時期に先代が亡くなるという不幸まで重なり、木股さんは24歳の若さで多くの職人を抱える会社を引き継ぐことになった。

「だからバブルの恩恵はまったく受けてないんですよ。仕事を始めて2、3年で先代が亡くなって会社は火の車になり、なんとか会社を続けるために必死で仕事をとってこなきゃならなかった。そのうち、これはものづくりとしておかしいんじゃなかって思うようになって。たくさんの社員を食わせるためには大量生産をしなくちゃならない。大量生産ということは、どっかの下請けにならないといけない。これを変えたいって思うようになったんです」

■下請けではなく、ものづくりの原点に向き合いたい

木股さんはジャズやレトロなクルマが好きな趣味人としての顔も持つ。若い頃からアンティーク品にも興味を持ち、「POPEYE」などの雑誌を読んでは、そこに掲載されていた古い時計を探すような青春時代を過ごした。

「よくいる2代目のぼんぼんですよ(笑)。特にやりたいこともなくて、漠然と将来は父親の会社で働くと思ってました。ただ、ものづくりとか古いものは昔から好きだったんです」

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当時、イタリアのファエンツァと姉妹都市になった土岐市は、若者向けに現地の美術学校での研修プログラムを実施していた。そこで自身を「放蕩息子」と語る木股さんにものづくりを学ばせるべく、先代の智正さんはイタリア行きを提案する。

「40日の研修だったんで、ちょっと遊びに行くつもりで参加しました。陶芸のクラスもあったんですけど、イタリアに来てまで土を触りたくなかったんで、デザインの授業を受けました。結局、絵が描けるようにはならなかったですけど、向こうの美術館に通ったりして、ヨーロッパのデザインとかアートをよく見ていました」

しかし実際に会社を受け継いでみると、経営状況が苦しかったこともあり、もらった仕事は何であれやらないといけない現実に直面する。そのうち木股さんは、ものづくりの原点から遠ざかる感覚を拭いきれなくなっていた。

「そこから規模を縮小していくという考えになったんです。下請けの大量生産はやめて、作りたいものを作って食っていけるだけの規模にしようって。実は先代とも亡くなる前にそういう話はしていたんです」

大量生産をしていた時代のヤマ忠木股製陶所は、いわば大きな「工場」だった。それを維持するために仕事をするのではなく、自分たちがコントロールできる範囲で陶磁器を作っていく。ものづくりの原点に向き合いたいという気持ちから生じた方針転換だった。

「まあ、僕が人を使うとか売り方を考えるとかするのが下手くそだから、たくさんの社員に対する責任を背負う自信がなかったという理由もあるんですけどね(笑)。ただ、どんなに頑張ってものづくりをしていても、下請けのままなら商売が景気にどうしても左右されてしまう。実際にそういう経験をしていたので、この地域では当たり前だった大量生産をこのままやっていても未来はないんじゃないかと思ったんです」

■グッドデザイン賞に後押しされた

そんな決意を抱いていた木股さんに転機が訪れた。きっかけは白磁の器に手描きのラインをデザインした「軌跡~Spur~」という商品が、1992年の朝日現代クラフト展で入選を果たしたことだった。

「作りたいものを作るって考えたときに、『そもそも自分のデザインは世間にどう受けられるんだろう?』ということを知りたくなって、軽い気持ちで応募してみました。最初は皿だけだったんですが、入選を機に商品点数を少しずつ増やしていきました。そして今度は2000年にグッドデザイン賞に出してみたんです」

結果は、見事にグッドデザイン賞を受賞。ただ、「そのときは地元の人に言っても、そんな賞があることを誰も知らなかった(笑)」と言う。それでも自分のデザインにお墨付きをもらえたような気がして、うれしかった。

「誰かに頼まれたものではなく、自分で価格を決めて作ったものが評価された。これに手応えを感じました。それで約20年後、先代の頃から残っていた社員たちが定年を迎えたときに、ついに思い切って規模を10分の1にまで縮小したんです」

賞を受賞していたとはいえ、商売としてやっていけるだけの確かな裏付けがあったわけではない。そのため同業者からは、何度も「無謀だ」と言われた。

「だけど自分はそれをやらないとかえって潰れると思ったんです。結果として、こうして今も細々とものづくりを続けられているのは、早いうちに小規模メーカーとして舵を切ったからです。今は同業者にも、うちみたいなことをやりたいと言ってくる人がいますよ。でも、社員を食わせていかなければならないから、なかなか下請けから脱せられない。規模を維持しながら個性で勝負するってことは難しんです。僕はとにかく小規模メーカーとしてやっていきたいという思いが強かったから、根拠はなかったけど踏み切ることができました」

■異業種とのコラボで磁器の可能性を広げたい

現在は少品種の大量生産ではなく、多品種の少量生産を中心としたものづくりを行っている木股さんだが、意外にも自身を「作家」とは思っていないと語る。

「そもそも登り窯に薪をくべて......みたいな作り方は知らないですし(笑)。うちでは焼くときもガスを使っています。僕がずっと考えているのは、この地域でずっと続いてきた大量生産の技術を使いながら、いかに個性を出していくかってことなんです」

木股さんにとって「軌跡~Spur~」は、そうした考えが初めて形になった商品だった。

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「賞をもらったときもめちゃくちゃ売れたわけではないですが、それでも25年近く売り続けてきました。僕が求めているのは、ミリオンセラーよりロングセラーなんです。長く使われるデザインを作ることができれば、細く長く商売を続けていくことができます」

近年はコラボレーションの機会も増えている。アーティストの日比野光希子さんと試作した何枚もの皿を重ねられる「創作皿」。フェイスブラシを制作する赤田刷毛工業と作った「泡立てブラシ用の陶器カップ」......。ほかにも、東京のデザイナーの要望でトイレットペーパーのホルダーまで磁器で作った。

特に1792年創業の道具店「日本橋木屋」とコラボレーションして制作した「おろし上手」は、これまで鮫皮で作られてきた「おろし器」を磁器でアップデートするということに挑戦。幾度もの試作を経た独自のサンドペーパー構造により、わさびや生姜を軽やかに、しかもきれいにすりおろせる画期的な商品を作り上げた。

このように木股さんは異業種の人々と交流することで、「食器」という枠に囚われないものづくりに挑戦し続けている。

「いかにも磁器で作れそうなものではなく、『これはできるのか?』というものをやってみたくなるんです。これは自分が作家じゃないってことにもつながるんですけど、最近は個人ではなくチームで作るってことに面白さを感じています。それぞれ得意分野のある人が集まって、ひとつのものを作る。そうするといろんなアイデアが出てくるんです。だから今は、食器以外の分野にもっと磁器を使っていきたいと思っています」

■父の日にもらうならさりげないものがいい

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今回のマスターズドリームとのコラボレーションについても、木股さんの「まずやってみる」という精神が発揮された。

「初めにお話を聞いたときは、『なんで僕なの?』って思いましたよ、正直(笑)。美濃焼を代表するような立派な方はたくさんいますし、僕はどちらかというと異質なことをやっているので。それでもお話をもらった以上は、とりあえず考えてみることにしたんです」

実はサントリーからは「父の日セット」に内包されるギフトということだけを伝えられ、「皿を作ってほしい」という指定すらなかった。木股さんの自由な創作から生まれてくるものが、何よりも価値があると考えた。

「まずはマスターズドリームの印象ですよね。実際に飲んでみて、これは従来のものと違う特別なビールだと感じました。がぶ飲みするものじゃないというか。ちびちびツマミを食べながら、ゆっくり美味しいお酒を飲む。そういう景色が浮かんだとき、小皿にしようと決めました。

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あと僕も子どもの父親ですから、どんなものをもらったらうれしいかってことも考えました。自分自身はサプライズのプレゼントみたいなことが苦手なので、奇をてらったものというよりも、やっぱり定番のものがいいだろうと。普段使っていて、誰かに『そのお皿はいいね』と言われたときに、『実は子どもにもらったんだよ』とさりげなく言えるくらいのもの。それでこういうシンプルなデザインにしたんです」

模様は美濃焼の定番である草花文様をベースに、手描きの麦とホップをあしらった。その金色の模様を際立たせるため、下地は黒で統一。こうしてさりげなく、それでいて長く使いたくなる逸品が生まれた。

「僕は今年で57歳になるアナログな人間だから、ネットを使った新しい売り方みたいなことは全然できません。でも、作ることはできる。今回のお話もそうですが、ひとりの職人として外の方々とコラボレーションすることで、大量生産に頼らないものづくりを続けていきたいと思っています。自分は表に出なくていいんです。例えばiPhoneに新潟県の小さな工場のガラス磨きの技術が生かせているという話がありますよね。そういうのがかっこいいと思うんです。世間にはあまり知られてなくても、この地域で培われてきた技術を使って、世の中になくてはならない会社になってきたいですね」

木股智洋(きまた・ともひろ)

1961年生まれ。ヤマ忠木股製陶所・代表社員。1985年に実父である先代・木股智正から引き継ぐかたちで代表に就任。主に和飲食器を中心にしながら、異業種とのコラボで食器以外の商品開発にも取り組む

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