その逸品ができるまで

「これまでも、これからも、仕事に『満足』することはない」
――バット職人・名和民夫インタビュー

2018年1月25日

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製法にも素材にも、最大限のこだわりを持つ――マスターズドリームをつくる醸造家たちは、常日頃からそう口にする。ではビールではなく、別のものをつくる「職人」たちはどう考えているのだろう? 今回、登場するのはイチロー選手をはじめとした数々の野球選手のバットを手がける職人・名和民夫。木という自然の素材を相手にし、世界でも戦えるバットをつくるためには、何が必要とされるのか。

岐阜県養老町。東海道新幹線の岐阜羽島駅から車で20分ほど、養老山地と揖斐川に囲まれた静かな町の中で、世界一を支えるクラフトマンは日々「木」に向かい合っている。

「木からバットを削り出すという作業自体は、それほど難しくはありません」

そのクラフトマン・名和民夫はバット削りの実演を終えてから、淡々とした口調で語り始め、「しかし......」と次のように続けた。

「削るということを、いかに自分のものにしていくか。それがバットづくりに携わる者にとっての壁だと思います。私自身、満足できると感じたバットは今まで1本もありません」

満足できるものを今までつくったことがない――自身に対する厳しさは、担当してきたプロ野球選手たちの姿勢、そして師匠から学んだことだという。

「一流のプロ野球選手は、『もっと打ちたい』『もっと守備が上手くなりたい』と思い、練習を重ねています。ベテランと呼ばれる選手でも、そうなんです。このように向上心を持っていくと、引退するまで満足できる仕事というのはできないはずで、野球の競技だけでなく、バットづくりの工程でも同じことがいえると思っています。また、私の師である久保田五十一さん(厚生労働省「現代の名工」認定。黄綬褒章受章)も、同様に考えていました」

■素材に勝る品質はない

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1本のバットを削り出すのに費やす時間はおよそ20分。その間、バイトやカンナといった刃物を使い分け、何度もノギス(計測器)で寸法を確認する

名和は1985年、ミズノのグループ企業の中で製造を担当するミズノテクニクスに入社した。当初はゴルフクラブをつくる現場に配属されたが、20代のころ、バットの現場に欠員が出たことをきっかけに異動する。クラブづくりに精を出す名和の姿を見て、当時の上司がバットの現場に「ぜひ」と推薦したのだ。

そのときの心境は、新天地で働くことへの期待はありつつも、正直なところプレッシャーの方が大きかったという。なぜならば「久保田さん」こと、名人・久保田五十一がつくるミズノのバットが、すでにプロ野球界で相当に認知されていたからである。

「異動したのは、今から26年前。久保田さんは、落合博満選手(3度の三冠王獲得)やピート・ローズ選手(メジャーリーグ通算最多安打記録保持者)など、数々の選手のバットをつくっていました。また、ほかの先輩方の仕事も目にして、『大変なところに来た』とあらためて思いましたね」

とはいえ、いきなりプロ選手のバットづくりをするわけではなく、まず任されたのが原木の管理。下積み的な要素が強い仕事であるが、素材を見極める力を身につけるには不可欠な仕事なのだという。木の中にはバットの素材として利用するには不適格な、節(枝の出来損ない)、入り皮(傷ついた木にできるかさぶたのようなもの)を持つものがあるためだ。

さまざまな性格を持つ木に触れたことで、今では削り始める前にバットに向く素材か否かの判断がつくようになったと語る。そこで、名和に「ビールの醸造家からも同様の話を聞きます。彼らは、自ら素材の生産国へ仕入れにいっているようです」と投げかけると、頷きながら次のように答えた。

「久保田さんからは『素材に勝る品質はない』と教えられました。どんなに腕の良い職人でも素材が持つ力以上のものを引き出すことができません。それが言葉に込められた大きな意味ですが、同時に素材を見極める力がつくり手には求められるとの意味もあります。寿司職人が、市場へ行って良い魚を入手するのも素材を大切にしているからで、こうした気構えはどんなつくり手にも必要とされるのでしょうね」

以降、原木の管理のほか、ノック練習時に使うバットや大学生向けの硬式バットの製作を経験し、異動してから3年が経ったころ、ついにプロ選手を担当する。

「初めてつくらせてもらったのは、進藤達哉選手。横浜ベイスターズが優勝した1998年に6番、7番打者を務めていた方で、久保田さんと一緒につくらせてもらいました」

後に、イチロー選手を担当するときも最初は久保田とともに仕事をし、徐々に引き継がれていった。その中で、素材や技術についての伝承もさることながら、特に「心」の大切さを久保田から叩き込まれたという。

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「クラフトマン」の称号を与えられた者のみが佩用するワッペン。2年に1度、技術、人柄に関する審査に合格することが求められる

「久保田さんに『何か揮毫してもらえませんか?』とお願いしたことがあったのですが、そこに添えていただいた言葉は『真心』。バットの素材で今は貴重品になったアオダモは、成熟するまでに60〜80年、現在主流のメイプルでも40〜60年かかります。私は今50歳なので、削る木はほとんどが〝先輩〟であるわけです。真心を込めて、木に対して失礼のないようにしなければなりません」

名和の心持ちを、選手たちも勘づいているのかもしれない。球場へ赴くと、選手から時折、謝罪の言葉をかけられるという。不調に悩む選手の中には、怒りや悔しさのあまりバットを叩きつけてしまう者もいる。そうした行為に対する謝罪だ。

「うまくいかないとカッとなってしまうのは誰にでもあることですので、私は何とも思っていません。でも、大切にしなければと思っていただけるのはやはり嬉しいですし、私自身も気持ちを新たにしますね」

■イチロー選手が求めた「覚悟」

先に述べたように、名和は2008年よりイチロー選手を担当している。久保田から紹介を受ける形で初めて対面したとき、イチロー選手からかけられたのが「覚悟を持って仕事にあたってください」との言葉だった。

「使い手にとっては、つくり手が代わるというのは非常に不安がある。だから覚悟を持っていただきたい、というのが、イチロー選手が言われたことの趣旨です。それまでも手を抜くようなことは決してありませんでしたが、『仰る通りだよな』と思いましたし、あらためて気を引き締めた瞬間でした」

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シーズンオフには選手が工房を訪れ、翌年のバットについて打ち合わせする。絵馬に書かれているのは各選手の目標など

折しも、イチロー選手はメジャーデビューしてから毎年連続でシーズン200本安打を達成していた最中のこと。名和が担当してからも2010年まで200本安打を継続し、その後、先発出場が減っていく中でも日米通算4300本安打、メジャーリーグ通算3000本安打といった大記録を生み出し続けている。

こうした記録の上では、名和はイチロー選手の求めに応えているように見受けられるが、名和本人は「まだ満足できていない」と繰り返す。

「先ほども申し上げたような『もっとうまくなる』ためには、どうすればいいか? そればかり考えています。特に、バットづくりは材料がアオダモからメイプルに代わっていくという過渡期にありますから、学ぶべきことが数多い。また、後輩が良いバイトやカンナ(バットを削るときに使う刃物)の使い方をしているのを見ると、自分も取り入れてみることもありますね」

名和の師である久保田は、2014年に引退した。自分が師匠から仕事を引き継いだように、名和自身もいつか後輩たちにたすきを渡す日が来る。最後に、その日へ向けた目標を語ってくれた。

「私が久保田さんから引き継いだときは、全選手の中でミズノのバットを使う選手の割合を下げることは、絶対にしてはならないと心に誓いました。その上で、数%でもいいから私たちがつくったバットを使う選手の比率を上げたいですね。それを達成して後輩に引き継ぐのが、夢であり、使命でもあると考えています」

球場で華麗なプレーを見せるプロ野球選手たち。その陰には、選手を思い、より良いものを生み出し続ける職人の技がある。

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名和民夫(なわ・たみお)
ミズノ認定の「クラフトマン」。1985年、ミズノテクニクス入社。ゴルフクラブづくりに携わった後、バットの製造現場へ異動。現在は、イチロー選手とセリーグ球団に所属する選手のバットづくりに携わる。同社のバット部門でクラフトマンの称号を得ているのは名和を含め2人のみ。

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