その逸品ができるまで
2017年9月29日
サントリービールの醸造家たちが、「まだ世界のどこにもない、心が震えるほどうまいビールをつくりたい」と願い、長い時間をかけ試行錯誤した末に辿りついた夢のビール、マスターズドリーム。醸造家たちの夢の結晶を味わうには、グラスが重要な鍵を握る。
そこでサントリー醸造家の秀島は、マスターズドリームの「多重奏で、濃密。」な味わいをより愉しむには、様々なグラスをつくることで数多の味に飲み手が出会いやすくなると考えた。秀島いわくそれは「味を探しに行けるグラス」。連載の第6回目では、京都の錫(すず)師として伝統の技術を現代に伝える職人、清課堂・店主の山中源兵衛に理想のグラスを試作してもらった。
天保九年(1838年)に錫師として創業した清課堂は、日本最古の錫工房として、神社仏閣の荘厳品、宮中の御用品の製作を代々行ってきた。
主に扱う錫は、アルミやステンレスと比べて融点が低く、軟らかい特徴を持つ。そのため、様々な形状の工芸品をつくることができるが、傷つきやすくもあるため、加工には熟練の技術が必要とされる。また、昔から水の浄化作用があるといわれ、酒器としても珍重されてきた。
そんな歴史ある工房の現店主である山中源兵衛は、マスターズドリームのグラスをつくるという依頼を受けたときに、あえて形状を1つに絞らず、いくつかのパターンを考えたうえで、実際に飲んで確かめ、そのインプレッションからさらに練り直していくという方法をとった。山中がこう語る。
「様々な素材があるなかで、わざわざ錫でビールグラスをつくる意味をまず考えました。私どもができることとしては、様々な形を提案するだけでなく、手触りですとか見た目の美しさでも、ビールのおいしさを引き出していくことです。だから、いろいろなパターンを提案させていただくことにしました。
ただし、素材には長所もあれば短所もありまして、例えば、ガラスのグラスのような背の高いものは、錫には向いていません。柔らかい素材は、高さが出ると形が崩れやすくなるからです。そういうことも踏まえて、ガラスのビールグラスにはなかなかないような、こちらの3点を試作してみました」
これらはすでにあるパターンから選んだデザインではなく、マスターズドリームのために山中が考えたオリジナル。従って、「◯◯型」という決まった名称もない。秀島は、このグラスを見てどのような印象を抱いたのか。さっそく京都に向かい、山中と語り合った――。
秀島:私たちは、中味のビールを飲み飽きないものにするだけでなく、飲む瞬間の印象を左右するグラスにもこだわることが重要だと思っています。そういう想いを持って、山中さんにマスターズドリームのポテンシャルを引き出していただけるようなグラス作りを依頼させていただきました。
山中:ありがとうございます。私もこれだけ様々なパターンのビール用グラスをつくるのは初めてだったので、とても貴重な経験をさせてもらいました。
秀島:錫ならではのグラスの特徴はありますか?
山中:金属には、素材自体に香りが存在します。それがビールの味わいにどう影響を与えるのかというのは気になります。
秀島:錫のグラスは非常に重厚感がありますね。ガラスと違って中味が見えない分、想像力をかき立てられます。ともあれ、まずはビールを注いで飲んでみましょう。
秀島:これは、持ったときの冷たさが手にダイレクトに伝わってきますね。容器を冷やしていないのに、キンキンに冷えているように感じます。
山中:錫は熱の伝導性がほかの金属よりも高いので、ビールの冷たさがすぐにグラスに伝わっていきます。見た目も清潔感があるので、視覚的にも冷たさを感じていただけるのかなと。
秀島:飲みくちの厚みは変えていますか?
山中:これはすべて一緒です。
秀島:そうなんですか。グラスは飲みくちの厚さによって、味わいが変わってきます。3種類を飲み比べると味わいがけっこう違うので、変えているのかと思ったのですが、すべて一緒というのは意外です。
山中:厚みは薄ければ薄いほどいいと思うのですが、素材がもともと手で曲がるくらい軟らかいので、薄くするのに限界があります。だから厚さではなく、フチの角度をどういうふうに仕上げるかで変えているのです。
秀島:これはちょっとデコボコしていますね。
山中:これは味わいを変えるためというよりも、デザインのパターンを増やしてみました。仕上げたあとに金づちで叩いて、あえてデコボコした感じを出しています。
秀島:面白いですね。ガラスのグラスにはないデザインで、見た目でも印象に残ります。
秀島:泡の出方がそれぞれ違いますが、内側の仕上げも変えていますか?
山中:おっしゃる通りで、3つそれぞれ研磨の具合を微妙に変えています。
秀島:内側の表面がザラザラしていると泡が出やすくなりますよね。泡が出やすいと味を少し薄く感じますし、泡のきめ細かさによってもまた味わいが変わってくる。泡の出方はビールグラスにとって、とても大切です。ただ、どれが正解ということはなく、ビールの銘柄によっても、最適なグラスは変わってきます。しかも、錫のグラスは中味が見えない。だから、外見のデザインから、いかに想像力をかき立てられるかという点も重要ですね。
山中:特にグラスごとの味の違いは、私どもとしても実際につくってみないと、何が正解かわかりません。この3種類をつくったあとに、いろいろと感想をいただきまして、あらためて、別のパターンも製作してみました。
秀島:右側のツルツルの部分とザラザラの部分で2層になっているグラスは、ひと目ですごく印象に残りますね。手触りもいい。
山中:飲みくちも際立って狭くしてみました。「味と香りを愉しむグラス」という原点に立ち返って、それを極端に表現したらどうなるかと考えたのです。
秀島:こういう形はワイングラスに多いですよね。グラスを傾けたときに香りを感じやすいだけでなく、液体が少しずつ口に入ってくるので、舌の上で様々な味が混ざりやすい。マスターズドリームのような複雑な味わいを持つビールの特徴を出しやすいデザインだと思います。
反対に、飲みくちが広いほうのグラスは、傾けると喉にぐっと液体が飛び込んできます。味をじっくり愉しむというよりも、昔ながらの喉越しを愉しむビールに合うかなという印象です。
山中:こうして実際に飲み比べてみると、ビールとグラスの相性がいかに大切かよくわかります。
秀島:例えばベルギーですと、ぶどうが採れない土地なので、昔からいろいろな味わいのビールを発展させてきました。特徴も銘柄によってまったく違うので、それぞれに専用のグラスがあります。本来、ビールの味を最大限に味わうためには、グラスも銘柄に応じてつくる必要があるんです。
山中:自分でつくっておいてなんですが、同じビールを注いでも、こんなに味わいが違うものかと驚きました。これはいい勉強になります。
この試飲を経て、次回はいよいよ秀島と山中がマスターズドリームにとっての"理想の錫グラス"を選んでいく。果たして、この中からどのグラスが選ばれるのか――。
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その逸品ができるまで〜第6回〜