ビールの肴になるカルチャー
2017年12月 7日
歴史上最も有名で、今もなお多くのミュージシャンに影響を与え続けるバンド、ザ・ビートルズ。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人からなるスーパー・グループは、今年で結成60年を迎えた。彼らの足跡を辿るツアーを旅行会社が提供することはしばしばだが、決まってコースに組み込まれるのがビアパブである。特に、ジョン・レノンが訪れたという酒場には、彼の誕生日や命日にファンが集う。ジョンがニューヨークで命を落とした12月8日が来る前に、彼が腰掛けた酒場をいくつか紹介する。
ビートルズの4人は、イングランド北西部のマージーサイド州にある港街リヴァプールの出身だ。同地はサッカークラブのリヴァプールFCやエヴァートンFCの本拠地としても有名だが、船乗りやブルーカラーの労働者の喉を潤すためのパブが多いことでも知られる。近年ではイギリスでも有数のビールフェスティバル、リヴァプール・クラフト・ビール・エキスポが開催されている土地だ。
ジョン・レノンはそんなリヴァプールで1940年に生まれ、幼少期、青年期を過ごしている。彼が美術学校リヴァプール・カレッジ・オブ・アートに通っていた頃、行きつけの店があった。店名は「イー・クラック」。ひび割れを意味するこの場所に、ジョンは後の妻となるシンシア・パウエルや学友スチュアート・サトクリフ(ビートルズ初期メンバー)とともに訪れていたという。ジョンがここでよく飲んでいたのが、黒ビールとシードルを割ったブラックベルベット(標準レシピは黒ビールとシャンパン)。ジョンはこれを好んだそうだ。
親のネグレクトによって叔母夫婦の家に預けられるなど、傷つきやすい日々を送っていたジョン。ここでの酒と親しい者たちとの会話が、ひび割れた心を包みこんでいたのかもしれない。それにしても、後にビートルズのレコード会社名がアップルになったのと、シードル(りんごの発泡酒)の選択は偶然にしてはちょっと出来過ぎている。
ジョンが学生だったこの時期、ビートルズはまだクオリーメンというバンド名だった。このクオリーメンの頃から、ビートルズとして世界的なスターになるまでのしばらくの間、彼らが出演していたナイトクラブに「キャバーンクラブ」がある。ビートルズのレコード契約に多大な貢献をしたマネージャー、ブライアン・エプスタインとの出会いもこの店であり、彼らのキャリアにおいて重要な場所であるが、この近くにもいきつけのパブがあったという。
それが、キャバーンクラブと同じマシュー・ストリートに位置する「ザ・グレイプス・パブ」だ。キャバーンで出演する際、彼らは演奏の前や後に訪れ杯を酌み交わしながら談笑していたという。しかしながら、わざわざクラブからパブまで来て酒を飲むだなんて不思議......と思う人も多いだろう。当時のキャバーンクラブはオーナーが酒類の販売免許を持っていなかったのである。元々はワインを保管する場所だったキャバーンクラブでお酒がなく、グレイプス(葡萄)に足を運んでいたというのはシャレが効いている。
パブでの演奏をしていた時代から時間は流れ、1971年、ビートルズが解散したジョンは、アメリカのニューヨーク市マンハッタンに位置するグリニッジ・ヴィレッジにいた。後妻であるオノ・ヨーコと引っ越してきたのだ。アパートの扉に105と大きく表示された半地下の部屋は、まだバンク・ストリートに存在し、ファンたちの聖地巡礼コースになっている。
ジョンは、マンハッタンでもお気に入りのビアパブを見つけている。1854年、ジョンも敬愛したイギリスの作家オスカー・ワイルドが生まれた年に創業した「マクソリーズ・オールド・エール・ハウス」だ。オールド・ジョンの愛称で親しまれたアイルランド移民、ジョン・マクソーリーがはじめた店で、開店当初からアイルランド系の男たちに親しまれた店である。ちなみに、ジョン・レノンもアイルランド系だ。
マクソリーズの歴史の中では、ジョン以外にもエイブラハム・リンカーンやボブ・ディランにも強い影響を与えたフォークシンガーであるウディ・ガスリーなど、著名人が多く訪れており、店内にはかつて訪れた面々の写真が飾られている。そこから床に目を落とすとおが屑が散乱しており、理由は「誰かが酒をこぼしたとき掃除が楽だから」だそうだ。元々の店名が「オールド・ハウス・アット・ホーム」だったというだけに、愉快な酒飲みたちの豪快な振る舞いにも対応できるある種のもてなしが現れているようにも見える。ビートルズが解散し、新天地に訪れたジョンが懐かしさを感じる場所だったのかもしれない。
こうしてジョンが通った酒場を紹介してきたが、日本に滞在していたときはホテルオークラ別館の「バー・ハイランダー」によく訪れており、いつも座っていたソファー席には「ジョン・レノンシート」の愛称が付いている。ただ、この席に座るジョンは、いつも紅茶を頼んでいたそうな......。
今年でジョンが他界してから36年......。彼が訪れた地で、ビールを愉しむのも一興。過ぎ去った遠い時間を思いながら、酒場でのひとときを過ごしてみてはいかがだろうか。
TOP>ビールの肴になるカルチャー>リヴァプール、ニューヨーク、東京......ジョン・レノンが訪れた酒場