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ビールの肴になるカルチャー

人が絆を求めるとき、名画ではビールの栓が開く? 成瀬巳喜男、荻上直子、岩井俊二に見るビールと映画

2017年9月 1日

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仕草や言葉よりも、食べたり飲んだりしているものでその人がわかることがある。お酒は特に雄弁だ。映画の画面の中ではあるだけで絵になるし、登場人物たちの心情を語ってくれることもある。手に取りやすい、誰からも愛されるビールが登場するとき、その背景にはどんなことが描かれているのだろう?

岩井俊二監督作の『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、アメリカの作家ワシントン・アーヴィングの寓話小説『リップ・ヴァン・ウィンクル』を下敷きにしている。森で酒盛りをしていた男が眠りから覚めると20年の歳月が経っており、一変した世界に放り込まれてしまう物語だ。『リップヴァンウィンクルの花嫁』の主人公・七海においても、「酒」は彼女を取り巻く世界が転換したり、大事な人と出会ったりする際に傍らにある、重要なアイテムとなっている。もちろんこれに限らず、映画に登場する「酒」は登場人物の心情を表すのはもちろん、物語の雰囲気を変える力がある。その中でも、ビールに注目した映画のお話を。

■ビールのある時間が繋いだ夫婦の切れそうな絆

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『めし』
販売元:東宝 価格:¥5,780(税込み)

1951年に公開された成瀬巳喜男監督の『めし』。上原謙と原節子が大阪でつつましく暮らす夫婦を演じている。主婦の三千代は夫の初之輔の食事の世話や家事に追われるだけの生活に疲れ、ちょっとした言動にもついつっかかってしまう。いわゆる倦怠期だ。「ああ腹減った、めしにしないか」「あなたは私の顔を見ると お腹が空いたってことしかおっしゃらないのね」というように。

その上、姪である里子が東京から家出をしてくる。華やかで奔放な里子は初之輔になつき、初之輔もまた里子に優しく接する。2人を見る三千代の心境は複雑だ。しかし、その気持ちを少しでも周囲にもらせば「あなたのような幸福な奥様が文句言うことないわよ」といさめられてしまう始末。いまの生活の中に居場所はない、と感じた三千代。里子を帰すという名目で、自らの実家もある東京へ向かう。もう夫の元には戻らないつもりで仕事を探したりもするが、ある日突然、初之輔が東京まで迎えに来る。久しぶりに会った2人は食堂で1本の瓶ビールを分け合う。三千代は「苦い」と言って晴れやかに笑い、初之輔と東京へ帰ることを決める。

気持ちのいいエンディングだが、夫婦の問題は解決したわけではない。おそらく今後も初之輔は「めしは?」と口にし、三千代のモヤモヤとした気持ちも再び積もってゆくだろう。作品が示しているのは「家族といえども、人と人は完璧には分かりあえない」ということなのではないだろうか。分かり合えないながらも一緒にいるしかない、というのが、家族という存在なのだろう。家から離れて、三千代はそれが分かったのかもしれない。しかし初之輔と一緒に笑顔でビールを飲む三千代を見ると、また夫婦の危機が訪れても、ビールが再び一役買ってくれるだろうと思う。

■閉じた心を開かせたのは、ビールと餃子だった

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『トイレット』
発売元:ショウゲート 販売元:ポニーキャニオン 価格:DVD¥4,700(本体)+税、Blu-ray¥5,800(本体)+税 (C)2010"トイレット"フィルムパートナーズ

言葉を使わずに分かり合おうとする家族もいる。舞台は大きく変わって北米。荻上直子監督作『トイレット』は、ロボットオタクのレイ、引きこもりのピアニストである兄、生意気な大学生の妹の3兄弟と、母親が死の間際に日本から呼び寄せた謎の"ばーちゃん"の交流を描いた作品だ。ばーちゃんは英語も日本語も喋らないため兄弟たちはコミュニケーションが全くとれない。娘を亡くして落ち込んでいる。トイレから出るとなぜかいつも深いため息をつく......。もともと静かな生活を好むレイだったが、得体の知れないばーちゃんの存在、パニック障害を抱える兄の世話、奔放な妹の言動などに散々振り回され、ついに感情が爆発してしまう。

「君たちはママが死んでから僕の人生をジャマしてばかり もう僕に構わないでくれ」

夜中の台所で、ひとりビールを飲みながら夕飯代わりにスナック菓子を食べるレイ。見るからに不機嫌で、そして落ち込んでいる。自分が扱いに困っている、ばーちゃんのように。

しかし、ばーちゃんの方が何枚も上手だった。レイの姿を見たばーちゃんは夕飯の残りの餃子を焼き始め、茶碗に盛りつけた白いご飯と一緒にレイに出してやる。思わず口にいれるレイ。食べ出すと止まらず、ビールを飲みながらあっという間に平らげてしまう。餃子は母親の得意料理だったのだ。ばーちゃんはそんなレイを見ながら自分もビールを飲み、さらにタバコをふかす。この間、言葉は一言も交わさない。ビールと餃子をそれぞれ無言で口にする2人の様子はややシュールにも見えるが、しかし意外と本物の家族なんてこんなものだろう、という気もしてくる。実際、このビールと餃子の一件以来、ばーちゃんは相変わらず一言も口をきかないが、3兄弟と庭でランチパーティーを一緒に楽しむまでになる。もちろんビールをお供に。

■心を照らす美しい乾杯のとき

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『リップヴァンウィンクルの花嫁』
発売・販売元:ポニーキャニオン 価格:DVD¥3,800(本体)+税、Blu-ray¥4,700(本体)+税 (C)RVWフィルムパートナーズ

冒頭にあげた『リップヴァンウィンクルの花嫁』では偽の家族が出てくる。主人公の七海は何となく結婚をして、流されるように離婚をし、そして安室という謎の男に誘われてアルバイトをするようになる。そのバイトというのが、結婚式に偽の親戚のふりをして参席するというもの。七海もかつて親戚の少なさを気にして、自分の結婚式でも利用したサービスである。

結婚式が終わったあと、同じテーブルで偽の家族を演じた4人と一緒に、七海は焼き肉屋に向かう。「一体自分たちは何をやっていたんだろう?」奇妙な経験をしたあとの高揚感と、独特の緊張から解放された七海たちは、ビールを片手にお互いの身の上を語り合う。父親役、母親役、姉役、弟役......体裁のために作られた、その場しのぎの家族たち。彼らが乾杯のために掲げたビールのグラスは、とても美しく見える。それまで劇中で七海がお酒を口にするときは、あまりいいことが起こらなかった。たとえば夫の実家で飲酒をした夜に、義母から離婚を強制されたり......。仮初めの家族たちとの乾杯の方が、彼女にはよほど心地の良いものだった。そしてその後の物語では、七海は偽の姉を演じた女性、真白と一緒に暮らすことになる。友情や家族という枠を越えた奇妙な関係を結び、美しさと残酷さが同居するエンディングへ2人で手を繋いで向かっていく。

ビールは家でも外でも気軽に飲めるもの。だからこそ、映画の中のビールはもう1人の役者のような、言葉を発せずに場面を際立たせる力がある。家族のあいだでビールが行き来するとき、それは誰かが、誰かと話したいと思っている合図なのかもしれない。

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