あの酒場に訊け!

1世紀の時を刻み続ける紳士たちの酒場
――東京會舘 メインバー・高山映治

2019年7月18日

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およそ150年前、福沢諭吉がビールという酒の存在を日本人に紹介し、同時に酒場の西洋化もはじまった。今回の舞台となるバーは、この150年のうちの3分の2、約100年の歴史を有する。そんな格式の高さに恐れをなして、足を向けないのはもったいない。あなたの心を癒やし、和ませてくれる人の温かさが、ドアの向こうで待っているからだ。

東京會舘メインバーには、人の背丈ほどある時計が置かれている。童謡「大きな古時計」を彷彿とさせるが、初めて来店した客の中にはその存在に気づかない人もいるかもしれない。ステアやシェイクといったバーテンダーたちの所作に目を奪われてしまうからだ。

しかし時計は、そんな何事かに夢中になる客、至上の喜びを得る日を迎えた客、あるいは東京會舘での思い出にひたる客、など多くの人々の姿を見守ってきた。それも、1世紀近くの長きにわたって、だ。

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初代本舘時代は、高橋是清、フリッツ・クライスラー(指揮者)など、東京會舘を訪れた史上の人物たちの姿も見てきた時計

「1922年に営業を開始した初代本舘時代はロビーに、2代目本舘では『バーロッシニ』に置かれていた時計です。一時は動かなくなってしまい、『もう取り外そうか』という話が出たこともあったんですが、そうすると不思議なできごとが続けて起こりましてね。ああ、やはりこういったものは大切にしなければいけないんだな、と考えさせられ修理をし、3代目本舘ではこうしてメインバーに置いています」

そう語るのは、東京會舘メインバーのチーフバーテンダー、高山映治。時計だけでなく、カウンター席の椅子やテーブル席のソファも手を加えながら50年以上同じものを使い続けているという。

高山の言葉に「初代本舘」「2代目本舘」とあったように、現在、彼が立つのは2019年1月に開場した3代目本舘内にあるメインバーだ。先の時計、椅子に限らず、東京會舘の中にはシャンデリアからバンケットルームの名前にいたるまで、過去から継承されているものがさまざまにある。

そして、最も大切な多くの客をもてなす心はどのように受け継がれているのか――高山映治の話から探ってみよう。

■朝のバーを独り占め

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「『東京會舘』『メインバー』という重圧を感じるようになったのはここ10年ほどのこと。若いスタッフも重圧を感じるより、一意専心で仕事に励んでもらえれば」と高山

今でこそチーフバーテンダーの肩書を持つ高山だが、若き日の夢は料理人だった。

「学生時代は喫茶店などでアルバイトをしていて、表の接客の仕事も、キッチンで料理をつくるのも、両方やっていました。そのアルバイト先からもお誘いはあったんですが、一度、会社勤め、サラリーマン生活というものを経験したい、と思ったんです。そこで東京會舘という大きな会社があって、職種には『調理』があると知り、1980年に入社しました」

とはいえ、最初から鍋や包丁を持たせてもらえるわけではない。調理職志望の新入社員たちは、レストランのホール(ウェイター)や洗い場などさまざまな場所に割り振られた。

そして、高山の配属先となったのが、メインバーだった。

「それまではバーなんていう世界はほとんど知りませんでした。だけど、入ってすぐに面白さを感じましたね。ちょうど、私が入社した時期は日本の景気も上り坂の時期で、昼の営業では外国人ビジネスパーソンのお客さまに、夜は周辺にある企業の方々にメインバーをご利用いただいておりました。そうした多種多様なお客さまを直に接客することに新鮮な驚きと興味を覚えて、早々にバーテンダーとしてやっていこうと決意したんです」

有楽町・日比谷通り沿いという立地から、来店する客は日本を代表する企業のトップ、役員も数多い。その中でも、若き日の高山が接客し、今でも伝説的な常連客としてバーテンダーたちの間で記憶されているのが、岩崎寛弥なのだという。岩崎の曽祖父・弥太郎は、先ごろ新1万円札の肖像に決定した渋沢栄一のライバルであり、ともに近代日本経済の礎を築いた人物だ。

「岩崎寛弥さんはとてもバーがお好きな方で、毎日のようにいらしていました。あるときは、私たちよりも早く、朝一番で来ていたことも......今のメインバーもそうですが、2代目本舘のときも入口に鍵をかけていたから、本来は入れないはずなんです。だけど、そのときの岩崎さんはまず、従業員通用口から入ろうとし、この界隈では有名な方ですから守衛さんも『いらっしゃいませ』とそのまま通したんですね」

当時のメインバーは、裏側でレストランの調理場とつながっていた。こうしたルートを通り岩崎は、まだ誰もいないメインバーに腰を落ち着かせたわけだが......。

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現在の東京會舘本舘のエントランス。メインバーはこのエントランスから入り1階左手奥にある

「調理場のスタッフを呼び寄せて『そこにあるワインとグラスを出してくれ』と頼んだそうです。そしてお酒を注がれたら『ありがとう、元に戻ってよろしい』と。8時半に出勤する早番のバーテンダーはもちろん岩崎さんの顔はわかっていますが、調理の人間から『どなたか存じ上げないけれど、注文されたのでお酒をお出しした』といわれ、驚いていました」

破天荒さを感じるエピソードである。しかし、人がいないから、後でお代は払うからといって、岩崎は自ら酒を持ち出すことはせず、東京會舘のスタッフの手を借りて朝のメインバーを愉しんだ。勝手に店のボトルには触れないというマナーを守っているというところは、岩崎の「紳士」としての振る舞いを感じさせる。

高山によれば、こうしたメインバーやその他の東京會舘のバーに来る紳士の存在は岩崎だけにとどまらず、また紳士たちのおかげで自らが形づくられたと感じているという。

「若い頃は、年配の、長年いらしているお客さまのお酒をおつくりすることが、なかなか叶いませんでした。『ああ、お前もわかってきたな』『もう俺の水割り、高山につくらせていいよ』といわれるまで、少なくとも3年はかかるわけです。決してそれが苦しかったのではなく、鍛えていただけましたね」 「その後、約10年にわたって各界の著名人が集まる『ユニオンクラブ』(東京會舘が運営するメンバーシップクラブ)に勤務しました。会員の方は私に対しても紳士的に接してくださり、その中でレベルの高い仕事が求められるんです。あの場で、皆さまに粗相なく対応できたのは、水割りひとつ取っても厳しいメインバーのお客さま方のおかげなんです」

■明日も「君がいてくれたか」といわれるために

このような紳士たちは、人に対してだけでなく自らが口にする酒、食べ物も大切にする。その思いに応えることも、高山の大切な仕事のひとつだ。

「アペタイザー(前菜)からピラフのようなしっかりとしたお食事まで、メインバーでも東京會舘の味が愉しめます。ただ、特に年配の方は『食べ物を残す』ことに抵抗を覚える方が少なくありません。そこで、メインバーでのお食事はハーフサイズでも承っています」

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ビールを、マスターズドリームを飲むときでも、それと同様の注文ができる。

「マスターズドリームのご注文をいただいた場合、通常はこちら(写真左)のグラスでお出ししますが、お申し出いただければ10オンスのグラスでの提供もしています。今、申し上げた年配のお客さまのように『ビールが欲しいけれど、飲みきれなかったらどうしよう』という方はもちろん、『いろいろなお酒を飲みたいから1杯の量は控えめにしたい』といったお客さまにもおすすめできますね」

常連客がこの10オンスのグラスに注ぐことを求める場合は、「テンナマ(テンは10、ナマは生ビールのこと)」と注文するのだという。では、読者がテンナマのマスターズドリームの次に、あるいは、その前に愉しみたいカクテルは? と高山に問うと、東京會舘を代表するカクテル「マティーニ」をつくってくれた。

マティーニは、「カクテルの王様」とも形容されるように、世界中で愛されている。とりわけ東京會舘のマティーニは、「これを飲むためにメインバーを訪れる」という客も少なくない。小説『東京會舘とわたし』(辻村深月著・毎日新聞出版)の中には、その名声を高めた秘密の一端が記されている。

《今井は、働きながら、さらにカクテル作りを究めていく。中でもこだわったのがマティーニで、客によって作り方を絶妙に変える今井マティーニには、外国人、日本人を問わずファンが増えていった》

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マティーニのオリーブは「半分くらい飲んだ頃に召し上がるのがよろしいかと思います」(高山)。ジンが実にしみ込んで口直しにも良いタイミングだという

今井とは、1940~1950年代にかけてチーフバーテンダーを務めた今井清のこと。この今井が基礎をつくり、そして現在の高山にいたるまでの歴代バーテンダーたちが美味しさとドライさ(辛口)を追求した末に存在するのが、"東京會舘スタイル"のマティーニなのだ。

「ジンとベルモットを一緒にしてステアするのが、よく知られるマティーニのつくり方だと思います。しかし、私たちはまずベルモットをミキシンググラスの中でステアし、これを捨てる。その後に、同じミキシンググラスでビーフィーター(ジン)をステアし、グラスにレモンピールとオリーブを添えることで、香りが豊かでありつつもドライな味わいのマティーニが生み出せるんです」

このように、カクテルにしても、店全体を眺めても、長い歴史の末に今があるということを感じずにはいられない。ただ、初めて来店する客が気後れする必要はまったくない、と高山は付け加える。

「たしかに当店には数十年にわたって来店されるお客さまも多くいらっしゃいますが、だからといって、たとえば若いお客さまが居づらい場所というわけではありません。スタッフも若い者が何人もいますし、何よりも初めて来られるお客さまは『東京會舘のメインバーで飲みたかった』『マティーニを注文したくて』と仰る方がほとんどですので、同じようなお気持ちで来ていただければきっと愉しめると思います。私にとっては、そうした期待をしてくださるお客さまがいらっしゃることで、より責任感を持って仕事に励めますしね」

高山も、自身の人生を振り返ると、さまざまな人がいる中で仕事をすることに歓びを感じてきた。独立したいと思ったことは一度もなく、東京會舘の温かな心を持った客、スタッフとともに時を過ごすのが何よりも愉しいという。

そんな高山だからこそ、人間として極めて大切なことを、今の自分の「目標」として掲げる。

「長年来られている常連のお客さまは私を見つけると、『おお、君がいたか』といってくださるんです。見知らぬスタッフが増えたからだと思いますが、とても嬉しいですね。私はあと2年で定年なのですが、少なくともその日まではそうしたお客さまのためにも、健康を維持してカウンターに立ち続けたいです」

客のために、日々、変わらぬ姿を見せ続ける――時計に目を向ければ、高山の言葉に相槌を打つかのように、およそ1世紀前から続く振り子の動きを繰り返していた。

〈酒場に訊く!〉

「健康を維持したい」と語っていた高山だが、同じように思う読者も多いはず。今回は、気持ちよく、体の調子に気遣いながらお酒を愉しむ術を訊いた。

Q いくつもの種類のお酒を飲みたいのですが、すぐに酔ってしまいます。酔いにくい飲み方はありますか?

バーテンダー・高山映治
東京會舘にいらっしゃった際には、ジンフィズをおすすめいたします。一般的なジンフィズは、ジンにフレッシュレモンジュース、砂糖(ガムシロップ)、ソーダをかけ合わせたものですが、私たちはここに牛乳を加えます。これを最初に飲めば、胃腸で牛乳が膜を張ってくれるので、ある程度は酔いにくくなりますね。

Q カクテルに関する逸話を教えてください。

バーテンダー・高山映治
こちらもジンフィズについてお話ししましょう。東京會舘は終戦直後、GHQに接収され、将校たちが集まる「アメリカン・クラブ・オブ・トーキョー」という名で営業していました。私が入社した頃と同様にメインバーも昼から大盛況だったようですが、将校たちは上官に叱られないようお酒には見えないこのジンフィズを好んでいました。しかし、GHQのトップだったマッカーサー元帥もジンフィズを愛飲していたといわれています。

Q 二日酔い対策はどうしたらいいでしょう?

バーテンダー・高山映治
糖分を取るのが良いと思います。イタリアの人ですと、夜にかなりお酒を飲んだ後に、パンを食べるんです。そうすると寝ている間にパンの糖分がアルコールを分解してくれて、二日酔いを防げるんですね。パン以外なら、朝に砂糖水を飲むことも良いでしょう。

〈店舗情報〉

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東京會舘 メインバー
東京都千代田区丸の内3-2-1(東京會舘1階)
TEL 03-3215-2113
営業時間 月~金
 ランチ  11:30~14:30(L.O)
 ディナー 17:30~22:00(L.O)
定休日  土・日・祝日

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