あの酒場に訊け!

元気なお酒の愉しみ方
――BAR武蔵・甲田岳彦

2017年12月 7日

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大人として生きていれば、立て続けに起こる嫌なこと、うまくいかないことを乗り越えなければならないときもある。でも、乗り越える力が出ないときには? 今回登場するバーテンダーは、「元気にお酒を愉しみましょう」がモットーのBAR武蔵・甲田岳彦。辛いときを過ごしている人にこそ、バーは元気になれるきっかけを提供できると話すが、そのココロとは----。

日本で最もバーが多いエリアともいわれる東京・銀座。今回の主人公、甲田岳彦が店長を務める「BAR武蔵」はその南端、8丁目にある。

百貨店が軒を連ねる3~6丁目とは異なり、この辺りは国内外の大手企業が拠点を構える汐留のほど近く。やはりビジネスパーソンが多く行き交うが、甲田はそんな人々の疲れを吹き飛ばす明るい「いらっしゃいませ!」という声と笑顔で、客を迎え入れる。

「僕のモットーは『元気にお酒を愉しみましょう』。お客さまが店に入ったときは元気がなくても、帰るときに少しでも元気が出たならば、また来よう、と思っていただけますよね。だから、出すお酒の種類だけでなく、できる限りくつろげる、そして元気になっていただける接客を心がけています」

BAR武蔵の「武蔵」とは、オーナーを務める武蔵昌一の名を取ったもの。甲田は自身にとっての武蔵の存在を、次のように語る。

「僕がバーテンダーを続けてこられたのは、やっぱり武蔵のおかげ。師匠でもありますが、もう1人の親父のように思っています。一方で、バーテンダーになった理由をよく考えてみると、実の父の影響もあったんじゃないかと、今になって感じるようになりました」

■2人の親父

甲田の父は、昨年(2016年)、亡くなった。

「父は厳格な性格で、なおかつ、仕事人間でした。休みの日も家に仕事を持ち帰ってこもるような人だったから、遊んでもらえた記憶はほとんどありません」

そんな寂しさが、バーテンダーの道を選んだことに通ずるという。

周囲が就職活動へ向けて慌ただしくなる大学3年生の頃、甲田は誰にも相談せずに、バーテンダースクールに通い始める。「この仕事に就いたきっかけに、深く考えたり、大きな志があったりしたわけではないんですよ」と笑いながら、進路を決めた理由を次のように振り返る。

「そのときの自分は、父の気を引こうとしたんじゃないかな、と。いきなり『バーテンダーになりたい』と宣言すれば、父は反対するなり、意見するなりされるんじゃないかと想像していましたから」

しかし、意外にも甲田の父は、すんなりと認めてくれたという。

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カクテル「サゼラック」をつくる甲田。材料の1つであるビターズは、父の実家の近くで採れたラベンダーを原料にした自家製のもの

「これは父が亡くなる直前に聞いた話です。父の兄、すなわち伯父はかつて警察官で首都圏に住んでいました。ずっと警察の仕事を続けたかったそうですが、私の祖父から家業の農園を継いでほしいと言われて、実家の長野に帰ったんです。父は、その姿を見て『自分の子どもには、やりたいことをやらせてあげたい』という思いに至ったようですね」

父のお墨付きを得た甲田は、バーテンダースクールのつながりでBAR武蔵を紹介される。当時のBAR武蔵はオープンして間もない頃で、そこで働いていたのはオーナーと店長の2人だけ。当初から盛況だった反面、店を回すのも大変な状況で、若いスタッフを探していた。

採用を前に、オーナーの武蔵は面接を実施。そこで聞かれた「君はどんなバーテンダーになりたいんだ?」との質問に、甲田はこう返した。

「ハワイに店を持つバーテンダーになりたいです」

なぜハワイなのかというと、これも実父への思いが発端。父が唯一、家族サービスをしてくれた思い出が、ハワイ旅行だったからだ。

大きな「夢」を語った甲田は、晴れて面接に合格。最初の1年間は大学在学中のためアルバイトとして働き、卒業後に正式なスタッフとして働き始める。

「武蔵はもう1人の親父のような存在と言いましたが、なぜそう思うかというと、若い頃の自分を『食わせてくれた』から。子どもが親の助けなしには育たないのと同じで、未熟なバーテンダーも食わせてくれる人がいるからこそ、仕事を続けられるんです」

たとえば、こんなことがあった。

不調な客入りの日々が続いたとき、武蔵は「必ず、大きな波が来る。それは突然、来る。だから、いつでもきちんと接客できるよう、心のエンジンをかけておけ」と口酸っぱく繰り返した。そして実際に「波」は来た。だが、甲田と当時の店長は、満足に動くことができなかった。そのため、武蔵は大激怒。直接、2人の体へ向けて投げたものではなかったが、シェーカーや灰皿、果ては店にあった樽まで投げ飛ばした。

「武蔵は柔道経験者だから、体の使い方がうまくて、怒ったら重い樽まで投げちゃうんです(苦笑)。それはともかく、このとき『武蔵さんに食わせてもらってるんだから、ちゃんとやらなきゃ』ということを痛感しました。自分が店長になってみると、若いスタッフを食わせてあげないといけないと責任を感じますし、反対にスタッフから助けられているな、といった感謝もありますね」

店長になった今も、武蔵から褒められることはほとんどないと甲田は話す。しかし、BAR武蔵という店を全面的に任せてくれていることに、嬉しさを感じるという。

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甲田と彼を支えるスタッフ、矢島健一郎(右)、中島徳也(中)

「武蔵からは『独立したらやりたいことがあっても、なかなかできない。だから、思い切りやれ』とよく言われます。バーのマスターの仕事はお酒を提供する、カクテルをつくるだけじゃありません。仕入れを担当するバイヤー、今回のように取材を受けたりSNSなどで発信したりする広報、安定して店を続けるための経理......そして、もちろん経営者でもあるわけで、さまざまな役割が求められるんです。だから、今のうちに思い切りやって、多くのお客さまに愉しんでいただくためには、どの役割のときにどういった仕事をすればいいかを知っておけ、というのが武蔵の言葉の真意じゃないかと思います」

偉大な〝2人の父〟に育てられた甲田。実父は亡くなる直前、開店前のBAR武蔵を訪れたという。

「頑張れよ、と言ってくれたことがとても印象に残っています。嬉しかったですね。父の気を引くという目的も達成できましたし(笑)。もちろん、こうして元気に仕事を続けられているのは、2人の親父のおかげ。実の父は亡くなってしまいましたが、店を任せてくれる武蔵と同様に、きっと見守ってくれていると思います」

■バーは人を守ってくれる場所

仕事人間だった実父のDNAを受け継いだのか、甲田はプライベートで旅行先を決めるときも酒やバーテンダーの仕事を基軸に考えることが多い。新婚旅行はラムとシガー(オーセンティックバーではシガーを揃える店も多い)を深く知るためにキューバへ行き、この春には家族旅行としてハワイを訪ねた。まだ具体化しているわけではないが、かつての夢が実現できるのではないかとの手応えを感じたという。

そして、このインタビューの前日までは、中国・四国地方を旅していた。

「せっかくだから、愛媛・今治で手に入れたライムを使って、カクテルをつくりましょう」

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旅したばかりの今治のライムとROKUでつくったジントニック。「自分勝手な旅行に付き合ってくれる妻と子どもには、本当に感謝するばかりです」(甲田)

そう言って取り出したのは、ライムとトニックウォーター、そしてジャパニーズクラフトジン「ROKU」。日本でつくられた材料をメインに据えた、ジントニックをつくるというわけだ。

「今治のライムって、酸味がすごく穏やかなんです。それが日本のボタニカル(草根木皮)を使ったROKUと非常にマッチして、飲まれる方はゆったりした時間が過ごせるはずです」

時間という点で、甲田はバーに身を置く時間を設けることは「自分を守る」ことにつながる、と話す。どういうことか?

「バーの扉って重いじゃないですか。だから、敬遠する方もいらっしゃいますが、裏を返すと、バーに入ってしまえば守られるということでもあると思うんです。重い扉のおかげで、外界と断ち切られる。嫌なことがあった日でも、付き合いづらい人が隣に座るといった可能性は極めて少なくなるわけですね」

嫌な気分は、できるだけ早く変えたいという客もいる。甲田はそんな人のために、気分を変えることのできる〝甲田流〟のビールの注ぎ方を教えてくれた。

「サーバーからビールを注ぐとき、グラスを注ぎ口からある程度、遠ざけています。そうすると、グラスの中でビールが対流して、より深みのある味わいと香りが出せるんです。マスターズドリームの場合、その深みがとりわけ顕著になります。ご自宅で飲まれるときも、瓶からそのように注いでみると、早く元気になれると思いますよ」

元気にお酒を愉しむ----そんな信条を持つバーテンダーがいるからこそ、客は今日も、明日も、元気をもらえるのだ。

〈店舗情報〉

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BAR武蔵
東京都中央区銀座8-10-7 東成ビルB1
TEL 03-5537-6634
営業時間 月~土 18:00~翌2:00
     定休日 日曜・祝日

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