あの酒場に訊け!
2017年10月 6日
誰しも人生の中で酸いも甘いも経験するように、酒場のマスター・店長と呼ばれる人々もさまざまな苦難をくぐり抜けて今日がある。カウンターを挟んでバーテンダーの人となりとお酒の愉しみ方や思いを訊く連載「あの酒場に訊け!」。今回は、東京・銀座のJBA BAR SUZUKIで店長を務める本間勲が、「3.11」で受けた試練から酒場のあり方を教えてくれた。
2011年3月11日。「JBA BAR SUZUKI」店長を務める本間勲は、東京・錦糸町にいた。
「カクテルコンペティションの事前打ち合わせをしていたんです。私はその年の実行委員で、開催予定となっていたホテルにいました。東日本大震災の激しい揺れが収まった後、JBA BAR 洋酒博物館オーナーのJBA BAR洋酒博物館オーナーの北村聡(JBA BAR SUZUKI元店長でもある)さんから、『本間くん! 店が心配だ。すぐに銀座に戻ろう』と言われ、タクシーを捕まえて急いで戻ったんです」
本間も、自分の店を心配する気持ちは同じだった。JBA BAR SUZUKIは1967年に開業し、常連から初めて来る客まで、当時の雰囲気を味わいに訪れる。また、今は亡きマスター・鈴木昇が集めたヴィンテージボトルのコレクションもあり、およそ100年前につくられたブランデーといった、値段のつけられないものも数多い。
それらは天井近くの棚、かなり高い場所にある。もし、落ちて割れてしまったら、天国から見守ってくれているマスターと健在の鈴木夫人に合わせる顔がない......。
「店のドアを開けた瞬間、お酒の匂いがしたんです。『ああ、やっぱりダメだったか』と思い、そして『マスター、すみません』と心の中で謝りました。でも不思議なことに、割れていたのはバックバーに置いてあるお酒だけ。古いボトルは、まったくの無傷でした」
本間は続けて「マスターが守ってくれたのかな」と呟く。
しかし、安堵もその一瞬だけだった。まず、JBA BAR SUZUKIは年中無休を掲げ、この日も本間は営業するつもりでいた。混乱の中で、安らぎを求めて訪れる客がいるかもしれないからだ。だが、地震の影響でエレベーターは動かず、営業時間外は店が所在する4階に置いてある看板が下ろせない。仕方なく本間は、1階のエントランスに営業をしている旨を告げる紙を貼った。
その程度の苦難は軽いものだった。実はこのときの本間は、店長としてJBA BAR SUZUKIに入店してから3カ月しか経っていない。必ずしも店の勝手がわかっているとはいえない中で、以前からいたバーテンダーが退職することが決まっていた。また、世の中全体を見ればリーマン・ショックの余波がまだまだ残っていた頃でもあり、バーの世界も景気が良いとは言い難い。
そこに到来した、巨大地震。混乱がしばらく続くであろうことは、容易に予見できた。
「売上の面からいえば、立て直すまでに1年くらいはかかったでしょうか」と、本間もJBA BAR SUZUKIが厳しい状況に置かれたことを認める。
店内にあるヴィンテージボトル、希少なボトルの一部。「震災後、落ちないようにするため慌ててワイヤーを取り付けました」(本間)
失礼ながら、本間は店長であってもオーナーではない。再起を、捲土重来を期すために、一度、店を退くという選択肢はあったはずだ。客や同業者も、咎めることはしなかっただろう。それを本間に問うと、次のように答える。
「そうですね。でも、僕のバーテンダー人生を変えてくれた人から強く教えられたことがあります。その教えからいえば、逃げることはできませんでした」
「ものづくりがしたい」
学業を終え、社会に出ようとしていた頃の本間は、そう思っていた。幼い頃、祖父が竹を伐採し、ノコギリで切り、そしてノミで穴を開けてつくってくれた竹とんぼ。傍から見ていた本間の胸に「こんなに楽しいことがあるのか」との思い出が強く刻み込まれた。
そこで最初は大工を志したが、「『竹とんぼ』の次に楽しかった思い出は、何だろう?」と考え直したとき、浮かんだのが居酒屋でのアルバイトだった。
「居酒屋では、ドリンカーというポジションを任されたんです。そこでは、簡単なカクテルをつくっていました。バーテンダーになれば、もっと本格的なカクテルがつくれる、すなわち『ものづくりができる』と思ったのが、この世界に入った直接のきっかけです」
そして採用されたのが、南青山にあるレストランのウェイティングバー。入店して3カ月で早くもカクテルづくりを任される。
「『明日からカクテルつくっていい』といわれ、やはり嬉しかったですよ。そして翌日、オーダーが入って『はい。じゃあ、よろしく』と。でも、僕はシェーカーの握り方など、全然わからない(笑)」
本間は、先輩との間で次のようなやり取りを交わした。
「あの、シェーカーの握り方、振り方ってどうやるんですか?」
「お前3カ月間、見ていただろう」
「そりゃ、見てましたけど......」
カクテル「トワイライト」をつくるため、シェーカーを振る本間。トワイライトは鈴木マスターのオリジナルで、古くからのファンも多い。
「芸は見て盗むもの」とは、バーテンダーに限らずさまざまな世界で、よく言われることだ。本間の先輩もそれが当然だと思っていたのだろう。
以後の本間は、技を見、それでわからなければ臆せず訊くようになる。また、ソムリエの資格を取るなどし、知識と技術、そして自信を深めていった。
だが――。
「技術、知識は持っていて当たり前。ウェイティングバーの次に仕事をしたバーグローリー(横浜・大倉山)の店長に、それを気づかされました」
その人、鈴木健司(現「バー・アドニス」オーナー)こそ、本間のバーテンダー人生を変えてくれた人だ。
本間が鈴木と出会ったのは、レストラン併設型ではないオーセンティックバーで仕事をしてみたいとの考えがきっかけ。それをウェイティングバーの同僚に話したところ、紹介されたのがグローリーだった。
「グローリーの店長は、技術もすごいんですよ。初めて出会ったとき、シェーカーを振る姿があまりにもかっこ良くて、すぐに『仕事させてください』と頼み込んだくらいですから。でも、そんな技術と知識は当たり前だと何度も繰り返すんです」
グローリーに入って間もなくのある日。本間は、カウンターでボトルを磨いていた。すでに客はおらず、指導された掃除もきちんと終えた後だ。
「そろそろ閉店だ」と思っていた頃、キッチンから「本間ぁ!」という怒号が飛ぶ。
「お前、ちゃんと掃除したのか」
当然、本間は「やりました」と答える。しかし、シンクに小さな水滴が残っていたことを指摘され、続けて店長の鈴木から、こう言われた。
――お前の掃除には「愛」がない。
「最初は『愛ってなんだよ!?』と思いましたよ(笑)。でも、こうしたシンクの水滴や見えない場所のチリに気づけない人間が、お客さまの細かい変化に気づけるはずがない。後から店長の言いたかったことがわかりましたね」
知識や技術は持っていて当たり前。バーテンダーは、カクテルをつくれて当たり前、出す酒を客に説明できて当たり前、ということだ。しかし、バーの主役は酒ではなく客。人間を理解できてこそ、真の意味でこの仕事が務まる。
さらに本間は、こう続ける。
本間のオリジナルカクテル「夜香梅(やこうばい)」。震災の5日前にあたる2011年3月6日に水戸市で開かれた「MITO梅酒COCKTAIL COMPETITION」優勝作品。
「バーテンダーは夜働き、朝に寝ます。閉店時間になってもお客さまがいらっしゃれば、営業を続けます。今お話しした掃除を筆頭に、目立たない作業に多くの時間を割きます......バーテンダーって、地味な仕事なんですよ。それを滔々と諭された上で、グローリーの店長から『泥水を飲んで仕事をするのがバーテンダーだ』との言葉をいただきました。これは、人が避けるような仕事や事柄から背を向けずに精進するということですよね。僕の座右の銘です」
時を経てJBA BAR SUZUKIの店長になった本間が、東日本大震災やさまざまな危機にあえて立ち向かった理由は、この言葉に表されている。
その後の本間は、鈴木とともに渋谷の「バー・アドニス」のオープンに携わり、そして前述の通り2010年の終わりにJBA BAR SUZUKIの店長になった。
JBA BAR SUZUKIは今年で50周年を迎える。中にはオープンした頃を知る、齢80を超えた常連客も来店する。
「鈴木昇マスターは、私がバーテンダーになるよりも前に亡くなっていますが、お客さまがマスターのエピソード、それにカクテルの味まで教えてくれます。僕がそうしたお客さまに、どうでした? と訊いて、『かなりマスターの味に近づいてきたね』と教えてくださることもありますね」
カクテルの話が出たところで、本間は次のような酒の愉しみ方を教えてくれた。
JBA BAR SUZUKIで飲むならば、まず1杯目は「鈴木のジントニック」が良い。ほかのバーのジントニックとの大きな違いは、ライムではなくレモンを使っていること。開業当初、ライムの入手が困難でありレモンの粉末を溶かした"レモンジュース"を使っていたことに端を発するもので、すっきりとした味わいとなっている。そこから数杯、好きな酒を愉しんだ後に、マスターズドリームを最後に飲む。これがおすすめだ。
「マスターズドリームは飲みくち、香りが華やかなのはもちろん、飲んだ後もそれらが余韻としてキープされますよね。だから、マスターズドリームは後の方で飲むのが、より味わいを愉しめると思います......あ、あともう1つ。バーで飲むマスターズドリームも美味しいですが、サントリーさんのビール工場で、つくった場所で飲むのもおすすめしたいですね」
JBA BAR SUZUKIは50年という伝統が積み重ねられてきた。一方で、絶えず革新に取り組まなければ店を営み続けられなかったのも事実だろう。
この「伝統と革新」の両立を、本間はどう考えているのか?
「知識、技術を持っていて当たり前、と先ほど申し上げましたが、それは絶えず新しい情報を吸収することができてこその『当たり前』だと思うんです。この点が、革新を続ける上で重要だと考えます。そして伝統は、何よりもJBA BAR SUZUKIという空間、雰囲気を壊さないこと。お客さまから話を聞いたり、店内をあらためて見直してみたりすると、生前のマスターはアットホームな店づくりを心がけていたと感じるんですね。古くからの常連さんにも、初めていらっしゃる方にも入りやすいこの雰囲気は、何としても守っていきたいです」
そう語る本間の後ろには、写真の中のマスター・鈴木が微笑んでいた。
〈店舗情報〉
JBA BAR SUZUKI
東京都中央区銀座5-4-15 西五ビル4F
TEL 03-3572-0546
営業時間 月〜金 18:00~翌2:00
土・日・祝 18:00〜00:00