あの酒場に訊け!
2017年8月 7日
心や体が疲れたときに安らぎを求めて飲む1杯は、大人だけに許された特権。そして提供するバーテンダー自身は、さまざまな悩みや困難を経験してきたからこそ、飲み手の心に寄り添う1杯を出すことができる。バーに立つ人々にお酒の愉しみ方や思いを訊く連載「あの酒場に訊け!」。第2回は、「ガスライト四谷」店長の須田好一に聞いた。
「自由にやれ」といわれると、不安を感じる。
たとえば、小学校の夏休み、宿題で出される自由研究。決められた勉強を進める学校生活の中で欲しかったはずの自由なのに、実際に「やりたいことを、やれ」といわれてしまうと、自分はどうすればいいのかわからなくなってしまう。
オフィスビルが立ち並ぶ地下鉄・四谷三丁目駅のほど近く、ガスライト四谷で店長を務める須田好一も、若い頃は同様の壁に思い悩んだバーテンダーだ。
「ガスライトに入ったときもそうですし最初に働いた『BII』も、自由にやれよ、という店でした。しかも、成功しても失敗しても何もいわれないから、いつも自分で突き詰めるまで考える......今になって思うと、先輩たちは後ろから見守ってくれていたとわかりますが、当時の自分にとっては、怖かったですね」
バーテンダー然とした純白のシャツに漆黒のベストといったコントラスト、整ったネクタイの結び目の裏からはカラーピンが覗き、そしてメガネが理知的な印象を与える――須田と初めて会ったならば、中には"完璧さ"を感じる人もいるかもしれない。しかし言葉を交わせば、そのイメージは良い意味で覆される。辛い思い出も楽しい思い出も、明るく話してくれる人物なのだから。
須田のステアは指先だけで回す「會館ステア」のスタイル。「ガスライトのバーテンダーは皆、會館ステアなので、できるようになるまで指に豆をつくりながら練習しました」(須田)
冒頭の「自由の怖さ」を須田が強く認識したのは、彼の齢が18の頃。「最初に働いた」と話すとおり、東京・渋谷のBIIがキャリアのスタートだった。そこから先立つこと1年以上前、周囲にいる高校の同級生たちが進路に悩む中で、須田はすでに「バーテンダーになる」ことを心に決めている。
「最初は、料理人になりたいなと思ってレストランバーでアルバイトをしていたんです。そこのオーナーが、オーナーでありながらカウンターに立ってシェイカーを振る人で......もう、その姿がものすごくカッコよく見えちゃったんですね」
憧れを抱いた須田は、早速、思いを行動に移す。高校を卒業したらすぐにバーテンダーとして働けるようにと、バーテンダースクールに通い始めた。
「3年生の進路指導のときには、迷わずに『バーテンダーになります』といいました。だけど、担任の先生からは『俺、バーには行かないから就職先は紹介できないよ』と困った顔をされてしまいまして(笑)。そこで、バーテンダースクールの椙山(すぎやま)先生に『就職先を紹介してくれませんか』と......」
「椙山先生」とは、日本バーテンダー協会会長を務め、さらにはフランス政府から農事功労章シュバリエを受章した、故・椙山八重造のこと。須田は「当時はそんな方とは知らず、気軽にお願いしてしまいました」と照れ笑いするが、ともかく椙山は快諾し、そして紹介してくれたのがBIIである。
だが、いくらスクールで学んだとはいっても、バーテンダーとしての所作、立ち居振る舞いなどがすぐに身につくわけではない。須田自身、それを強く痛感していた。
「高校を出たばかりですから、大人の礼儀や言葉遣いはまだまだ......それが表に出てしまうのが怖くて、バーテンダーになりたての頃は店の隅っこに黙って立ち、お客さまから注文されたときに応じるだけでしたね。でも、BIIのマスターである砂田(道雄)は若手に対して『イケイケ』『ヤレヤレ』というタイプの人。同時に、先ほども申し上げたとおり若手に"考えさせる"人ですから、そこからはひたすら考える日々が始まりました」
バーテンダーは酒だけでなく、時間を提供する存在でもある。機嫌の良い客はより楽しく時間を過ごせるように、反対に落ち込んでいる客ならば気持ちをリセット、あるいは、癒やされる時間を求める。
若き日の須田が置かれたのは、その"時間づくり"を自由にさせられ、さらにそれが正しいのか誤っていたのかまで自分で判断しなければならない状況といえる。しかも、彼自身の言葉にある通り、物怖じしてしまうところがあった。そんな中で、どう成長していったのか? そこで須田は、バーテンダーになったばかりの頃に出会った、ある常連客の話をする。
「まだろくにカクテルもつくれないときに、あるお客さまから『君の手でマティーニをつくれ』といわれたんです」
しかし、その1杯を飲んでは「不味い」といい、さらに「もう1杯つくれ」と一言。当然、それも評価はされず、「3度目の正直だ。もう1杯だけつくってみろ」といわれたが、出せばやはり「不味い」といわれる。
ガスライト四谷はカウンター、テーブル合わせて40席とかなり広いバー。さらに平日はランチタイムからノンストップで営業するが、須田をはじめどのバーテンダーも笑顔を絶やさない。
「『君のマティーニは不味いな。明日また来るから、それまでに練習しておきなさい』というんですね。それを聞いた私は『本当にいらっしゃるのだろうか?』と半信半疑ながらも、練習しました。そして翌日、お客さまは店にいらしたんです」
須田によればその客は、当時60代半ばでありながら現役で仕事をする多忙な人物だったという。
「そんな方が、私のような若造との約束事を守ってくださって、嬉しさはもちろん、大人の律儀さとはこういうことかと感じました」
自分の出した酒を飲んでくれて、言葉を翻すことをせず、そして見守ってくれる――マティーニを注文した人だけでなく、多くの客の存在が、若き日の須田を後押しした。
シングルモルトのラフロイグをベースに、レモンジュース、シュガーシロップでつくったカクテル「ウイスキーサワー」。「ラフロイグの個性を生かしつつも爽やかな風味に仕上げていますので、特に夏の暑い時期にはぴったりだと思います」(須田)
須田がバーテンダーになって7〜8年が経った頃。カクテルコンペティションに地域支部の代表として出場するようになり、BIIのマスターである砂田からは「そろそろ、ほかのお店で勉強させてもらったらどうだ?」と勧められていた。
そこで、須田に声を掛けたのが、ガスライトの代表を務めるオーナーバーテンダー井口法之だ。
「井口が私を誘ってくれた場所は、神戸。というのは、カクテルコンペの全国大会があったからなんです。私は、自分の演技を失敗してしまって落ち込みながらトイレへ行ったんですが(笑)、そこにちょうど井口がいまして『須田君、もしBIIさんを辞めるんだったら、うちでやってみないか』と言ってくれたんです」
かくして須田は、移籍した。当初は「ガスライト四谷」に在籍し、ほどなくして「ガスライト銀座」のカウンターに立つ。霞ヶ関本店を筆頭に当時、すでに名店の地位を築いていたガスライトのカウンターに立ち、須田は次のような感想を持ったという。
「カクテルをつくる技術、接客、あるいは料理の味など、あらゆる部分でほかのバーとは段違いだと感じましたね。しかも、それらのレベルを高いところで維持しながら、型を持ちつつも自由な発想でお店を動かしているのが、本当にすごいと思いました」
ガスライトに入ってからも、「自由」の重みと難しさを感じた須田。同時に、もう1つ大きな学びを得たと話す。
それは、「目線を合わせる」ことだ。
カウンターが長い分、ほかのバー以上に、バックバーに置かれるボトルも多種多様。また、入り口そばの棚に収められた井口マスターのミニチュアボトルコレクションも壮観。
「銀座にいると、それまで長く仕事をしていた渋谷とは違って『先生』と呼ばれるお客さまがお見えになります。しかし、そうした方々もガスライトの中では私と同じ目線で話してくださるんです。フラットに、ナチュラルにお話しされる。接客する側の私も、その姿勢に学ぶところが大きく、今の仕事にも生きていると思います」
バーテンダーが"上から"の接客をしてはならないが、かといって、下手(したて)に接するだけでは、客が警戒するだけだ。真に信頼を得るためには、目線を合わせなければならない。だから、須田は接客のとき、あるいは、後輩に指導するときも、同じ目線に立つことを心がける。
バーに入りづらい、バーテンダーと何を話せばいいのかわからない、という客には「ガスライト四谷の場合は天井が高く開放感もあるので、オーセンティックバーというよりも『酒場』という感覚で来ていただければ。話す内容も何だって良いと思います」と話す。またお酒についても、難しく考える必要はないという。
「カクテルや年代物のウイスキーを頼んだりしなくてもいいんです。たとえば、いつも誰もが飲んでいるビールにも色々な種類がある。あっさり飲めるものから、じっくりと飲むものまで多種多様です。そして、そこからお酒の愉しみ方は広げていけると思っています」
客を安心させ、そしてどんな人でも長くくつろげる、居心地の良い空間をつくる――会話する中で、須田のメガネの奥から覗く優しい眼差しが、そんな彼の心意気を物言わずとも語っているように感じた。
〈店舗情報〉
ガスライト四谷
東京都新宿区四谷2-13-3 大和屋ビルB1F
TEL 03-3351-4392
営業時間 月〜金 11:30~翌3:00
土 11:30〜23:00
祝 17:00〜23:00
定休日 日曜